ズ50 ズッコケ三人組の卒業式
最終回でタイトルが「卒業」といっても、ズッコケは群像劇ではないので、卒業証書を受けとる一人ずつの回想シーンを並べるという、学校モノの定番は登場しません。
しかしもう一つの定番「じつは先生もこの春に学校を去る」は採られています。卒業式まで内緒にしていたけど、みんなの卒業を機に先生も退職、異動、帰郷、入院することになっている…というアレです。やんちゃ生徒が「もうここに戻ってきても先生には会えないのかよぉ」と泣くシーンを何度テレビで観たことか。
というわけで、冒頭の場面は校長室。校長先生が宅和先生に教育委員会勤務を打診しているところから始まります。このシーンが意外と長く、また児童向けにしては背伸びした内容の描写です。宅和先生は現場が好きなのでこれまで昇進試験を受けてこなかったこと、このままヒラの教員として定年まであと五年続けるつもりであること、しかしそういうタイプの教師は校長としては扱いにくいこと、教育委員会への異動には体のいい厄介払いという側面もあること、宅和先生は寂しさとともに老いを感じさせられていること……。こんな話がひとしきり続くのです。小学校内の大人事情をちょっと暴露するといった感です。中学校に進み児童から生徒に昇進する読者へのはなむけという意図かと思いましたが、巻の後半ではもっと悪い意味での「大人的世界の紹介」が展開されることになります……。
一方、三人組のほうでは、自分たち三人だけのタイムカプセルを埋めようというお話が始まります。二十年後まで校庭のどこかに埋めておこうというのです。思い出の品を埋めるか、プレミア値の高騰を期待した物にするかで揉めたりしますが、ここでも最終巻らしい感傷的な雰囲気は発生せず、埋めようとした地中から奇妙な演歌CDを掘り出してしまったりと、お話全体のテイストを見定めにくいまま進んでいきます。
そして終盤に近づいた頃、やっと事件が起こります。
掘り出したCDはじつは犯罪の証拠品だそうで、奪回を狙った犯人にハチベエが誘拐されてしまうのです。卒業を控えた感傷などありません。なるほどズッコケらしく最終巻でもちゃんと面白いお話をうちだしていこうとしてるんだなと思いました。そして僕は「ああ、そっちの定番なのか」と唸りそうになったのです。おそらく監禁されたハチベエを救出すべく突入するのは宅和先生に違いない。教育委員会勤務の話は伏線。冒頭の場面で転勤や結婚など人生の転機の話が出た場合、その人は決まってラストで殉職するという、刑事(と書いてデカと読む)の定番が展開されると直観したわけです。なんという最終巻か。教師一筋三十年男宅和源太郎が教え子のために命を落とすなんて、そんなラストを誰が想像していたでしょうか。
……ぜんぜん違いました。
おまわりさんがアジトに踏み込み、あっけなく犯人を逮捕。ハチベエも無傷で保護されます。事件発生から解決までたった2時間(9ページ)。肩透かしもいいとこです。どう考えても投げやりな印象は消えません。
9ページが少ないから投げやりだというのではありません。誘拐事件の前後で、卒業式での国旗国歌の扱い云々というくだりに計7ページも取られていることと較べてそう感じるのです。誘拐をおざなりにして国旗国歌か、と。
花山第二小学校には外国籍の子も何人かいるので、卒業式ではその子たちの国の旗も並べて掲げ、さらにそれら何カ国もの国歌をその国の言葉のまま全児童が歌うそうです。「韓国や北朝鮮、パキスタン、中国、イギリス」というラインナップ。他の国の歌も歌うことで「外国のことも思いやる人間」になり「その心が国際平和につながる」んですと。そして、式当日にはこの試みに会場から大拍手が起こったり、このスタイルは国旗国歌を「強制」した文科省の指導要領に反していないだとか、ミドリ市の教育委員会も「教育現場で国旗や国歌を強制することに消極的」なのでクレームの心配もない、などということまで語られます。
……こんな話題がズッコケに登場することが嘆かわしい。小学校卒業式に日の丸君が代が相応しいかどうか以前に、国旗国歌「問題」がズッコケには相応しくないと、僕は考えます。
僕は大人ですから、「卒業式」といえば「国旗国歌問題」という連想しかできない大人がたくさんいることを知っています。是非のどちらに与するかは関係ありません。硬直した連想という意味で、「成人式」といえば「新成人の狼藉」だけが反射的に浮かんでしまうような人のことです。
だから「子供に人気の本では卒業式の国旗国歌はどう扱われてるんだろうか」という興味でこの巻を手にとりパラパラとめくる人がいることも、僕は知っています。教師や親にもいることでしょう。
しかし、まさかズッコケがそんな下衆な興味に直球で応えてしまうとは思いませんでした。拒否するでもなく従うでもなく「たくさんの国旗と国歌を並べる」というアイデア。それでどうしたというのでしょう。こんな姑息が人を自由にするわけがありません。挿絵の式場に旗が掲げてあってもなくてもどちらでもいいのです。国旗国歌の問題などこの世に存在しないかのように振る舞う意気がなくてなんのズッコケか。貧しい大人の手慰みでしかない「問題」から卒業式を保護する善意なくしてなんのズッコケか。
とまあ、宅和殉職、最後のお説教、一人一人の名前に因んだ訓示、シリーズの総括的回想、夢オチ……あらゆる最終回的展開が悪い種類の大人によって阻害されたような、妙な読後感の残る最終巻でした。一応、最後の最後にはホロリとさせる場面で終わります。
これで全50巻達成です。
……最終巻なのにタラタラと不満を吐きましたが、最後に誠心誠意のフォローで絞めます。
シリーズのスタート時は勢いがあり次から次に傑作が登場するも、ある時期から失速がはじまり、止め時を見失ったかのように惰性で続くという現象が連載マンガの世界にはよくあります。ズッコケを通して読んできた人の中にそういう印象を持つ人もいるかもしれません。はたしてそうでしょうか。
自分が小学校に行っていたときを思い出してみたのですが、僕は、すでにその当時で「一年生や二年生の頃が楽しかっただけで、六年生の今は別にあそこまで楽しくないよなあ。心が穢れてしまったから新鮮さがないし」などと考えていた記憶が蘇ってきました。でも大人になった今では、小学校生活なんて六年間を一まとめにして考えています。それが自然なのです。
ズッコケもそうであるはずです。最初の方の巻がよかっただけだなんてのは錯覚です。ズッコケは全巻でズッコケ。
いろんな国旗を掲揚すると世界平和を祈念したくなってしまうような精神とは無縁の僕ですが、ズッコケ全巻を並べれば、ズッコケ性とでも呼べるような、ある抽象化された観念が立ち上がってくるのを感じます。
それはやはり、何らかの形で人生を賦活する何かなのです。
卒業おめでとう。


























