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2008年5月31日 (土)

ズ25 ズッコケ三人組の未来報告

Back25第25巻。92年8月刊です。

未来のお話です。
時は二〇XX年、三人組は三十二歳です。
小学校を卒業してから二十年、三人ともそれなりに社会に出て活躍しており、はじめてのクラス会が行われます。しかし、会で開封される予定だったタイムカプセルが、何者かによって盗まれてしまいます。折りしも、国籍年齢等一切が謎の当代一の世界的スター、ジョン・スパイダーの初来日公演が間近に控えていました。スパイダーが長らく拒んできたのを翻意し、待望の来日が実現することになったのですが、東京や大阪ではなくなんとミドリ市で公演を行うのです。カプセルは会の直前に返されますが、ある人物の記念品だけが取られています。現在では高価値のついた「カラテマンゴールドカード」ではなく、なぜそんなものが抜き取られたのか。犯人は誰なのか。そしてスパイダーはなぜミドリ市に来るのか。……未来を舞台にした大掛かりなお話です。
書き忘れましたが、このお話は夢オチで終わります。全部夢でした、ということです。オチというより、最初から読者にはほとんどわかるように書かれています。モーちゃんがヨーロッパでホテルマンの修行をし、フランス人女性ジャクリーヌ(美人)さんと結婚しているなんて、まあ、夢としか思えません。

で、歳をとった未来の三人組といえば、このブログのゴールである『中年三人組』です。そのシリーズ完結作を予め模倣したかのようなこの第25巻なのですが、かなり大きな作風の変化が起こっています。何かが吹っ切れたような感があるのです。シリーズ全体を通して見た場合、この巻は大きな転換点を示すことになるでしょう。
おそらくこの頃に、ここをシリーズの中間とすること、すなわちここで折り返してこれまでと同じくらいのお話が作られることが決まったような気がします。あと二十巻あまり続くことを見越したうえでの変化が見られるのです。
三人組のキャラクターが後退し外部が前景化してきました。
三人組・出来事・外部キャラの三者のうち、後の二者がずっと前にせり出してきたのです。三者は等価になったか、あるいは逆転しているかもしれません。主である事件に対して三人組が従の関係をとっているように見えるのです。
これまではどんな事件が起ころうとあくまで三人組の世界が前提でしたが、その巻かぎりの現場と事件と登場人物が先行し、そこに三人組がいるという形に転じてきたのです。三人組があいかわらず三人組らしくあることを確認するために本を開く読者ではなく、ストーリーの行方を追う楽しみを欲する読者に向けられているかのようです。
エンターテイメント性が強くなったとか、筋立てが派手になったと感じる人もいると思います。シリーズが固定して続くようになれば、敵役の方に焦点が移りバラエティを増すことは、宇宙怪獣やジオン軍にも見られる通例ですが、これを同様のマンネリ回避策といってはミもフタもないでしょう。三人組が、誕生時には想定されていなかった時間と世界を生きはじめているということだと思います。短い半ズボンの小学生はもう絶滅しており、何らかの転換は必要だったはずなのです。坂本金八氏が長髪を切り体重を増やした時期を考えれば、ここまでよくもったものです。

今後は、ドラえもんの七巻以降を読むような、コメカミが打てなくなってからの矢吹ジョーを見るときのような気分になることでしょう。本当にこの巻までしか未だ読んでないのであてずっぽうなのですが、たぶん、ズッコケは変わりました。21巻で言及した変化よりずっと腹のすわった変化です。この巻を読みながら薄々と感じ、次巻のタイトルを知って確信しました。七十年代末に誕生し八十年代初頭に花開いた三人組が、九十年代に適応していく様を、これから追体験していくわけです。いつまでも過去のテイストに拘泥するなと、ジャクリーヌ(美人)さんが言ってるようでした。

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2008年5月21日 (水)

ズ24 夢のズッコケ修学旅行

Back24第24巻。91年12月刊。

修学旅行のお話です。
卒業文集の「一番の思い出」採用率ナンバー1の修学旅行です。
花山第二小の六年生が山陰の隣県に一泊旅行をします。学校からバスで出発し、あれこれ見学して帰ってきます。他校の子と揉めたり映画撮影に出くわしたりしますが、特に大きな事件も起こりません。
端的に言って、内容の薄いお話でした。

とはいえ、それは必ずしも、このブログの更新が妙に開いたように、二十数巻続けてきた作者の気がダレたということではないはずです。よく考えればいくつも理由が思い当たりますが、修学旅行のお話がおもしろいわけがないのです。
理由その一。この本の読者のほとんどは、これから修学旅行を経験することになる子たちです。波瀾万丈、めくるめく事件が展開するお話では持て余してしまう危険があるのです。既巻にあるタイムスリップやお化けや殺人事件には、日常を多様な可能性の感覚で満たす効果がありますが、一度きりでしかもスケジュールぎっちりの一泊旅行では、読者諸君もお話をトレースしようがありません。というわけで、理由その一は、期待を煽りすぎずしかし現実を卑下させないという配慮の結果ということです。
理由その二。そもそも修学旅行なるものじたいがつまらないという事実。これです。
日常を外れて舞台を変えないとドラマが生起しないのは、大人だけです。子供なんてちょっとした刺激で即時に妄想が発動するので、環境を変化させる必要はないのです。だいいちがっちり拘束されて動くだけの旅行に非日常の躍動なんかありません。バスから見る旅先の夕暮れより、体育倉庫の裏の壁に射す赤い陽の方がずっと心に沁みます。つまり、修学旅行とは小学校生活において最も期待はずれでアンチドラマな行事なのです。バスの最前席で担任と学級委員がこそこそ話してる姿が象徴する、そんな退屈さです。
理由その三。卒業文集に修学旅行ネタを書く気を阻喪するねらい。修学旅行ネタが日本中の卒業文集を無味乾燥にし続けている現実を憂うゆえ、ということです。
「小学校時代の思い出」としてまず修学旅行を挙げる大人はいません。記憶に残るのは、日常の間にあった、固定しがたいいくつもの情景ばかりです。
でも、そんなものを子供が書けるはずはないのです。箒でジャストミートされた雑巾が、吸い込まれるように窓の外に飛び出す瞬間の、時間が停止したように窓枠の中央でちょうど放物線の頂点を迎えた逆光の形……そんなもの、小学生は毎日味わっていても一文字も表現できないはずで、仕方がなく修学旅行ネタでお茶を濁す子が出てきます。そういった事情に加えて「卒業文集らしさ」という制度上の要求に従った結果が、「退屈なイベントのくせに卒業文集採用率一位」なのです。
たしかに、情景を顕彰するのは、日本では老成しないとしてはいけないことになっています。病床についた六尺の歌人とか、電車にぶつかった傷を癒しに城崎温泉に行って川原を散歩してイモリを見たお爺さんとか、そういう人じゃないとサマにならないわけで、子供には無理なんです。でも、少なくとも修学旅行ネタを避けることくらいはできるだろう、その程度には退屈さを忌避する気概を持ちなさい、という諭しの効果が期待されているのです。

とまあ、こうやって理由をでっちあげてみると、お話の薄さもそれなりに意味のあることに思えてきます。お話の薄さはそのまま他の主題への誘いであり、修学旅行の記憶の薄さは、そのまま小学校生活の充実の度合いなのです。

卒業文集を見てみるとわかると思いますが、味のある文章を書く非凡な子ほど、小さいネタを選んでるはずです。そういう子は少数だけど確実にいます。大人になって何度も読める、文字通りの「記念」を残せた子です。
ちなみに文集の僕のページには、奈良のお寺だかの絵が描いてあったと記憶してます。
ばからしくて読み返す気にもなりません。

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