ズ45 ズッコケ情報公開マル秘ファイル
三人組が行政オンブズマンになるお話。
前巻のところで「社会派フィクションにおいて政治=悪ネタは衰退しつつあるように見える」と書きましたが、この巻はなんと「政治=悪」ネタです。しかも性質の悪い部類のものです。
はじまりは、勧善懲悪時代劇。「ひょっとこ侍」が腐敗した筆頭家老を成敗するのを観て、ハチベエとモーちゃんが感激します。ぜひ自分たちも悪党をやっつけたい、政治家の不祥事を根絶したいと言い出し、ハカセがオンブズマンというのを提案するのです。現代のひょっとこ侍とは、オンブズマンなんだそうです。
で、さっそく三人組の活動が始まるのですが、読者の中にはオンブズマンというのがどういうものか知らない子もいることでしょう。そこで、ハカセを通して何度か解説が挿入されます。オンブズマンの役割や仕組、公務員というのは何でも秘密にしたがる習性があること、市民の権利、今は「情報公開の時代」であること……社会科副読本を一言余計にしたような解説です。
三人がターゲットにするのは、ミドリ市に建設予定のふれあいセンターをめぐる疑惑。建設業者の入札に際し予定価格が事前に漏れたのではないかという黒い噂です。(ここでもまた、競争入札の仕組やら典型的な談合の手口の解説……)。
こうして調査と糾明のストーリーが展開していくのですが、全編「悪い奴」の影とお勉強になっちゃう雰囲気でいっぱい。最初にハチベエの頭の中でひょっとこ侍と政治家が短絡するあたりで嫌な予感がしたのですが、ズッコケらしくないお話なのです。
現実の社会問題を扱うフィクションには何らかの啓発志向とそこから来る退屈さが不可避なのでしょう。現実の問題が登場することで完全な虚構よりも退屈さが減ずると考える人もいるようですが、僕はまったくそうは思いません。啓発啓蒙志向に作り笑いが加わる子供向けのものだとなおさらです。
たしかにこのお話は、あるオンブズマンが市役所の帰りに轢き逃げで殺されるなど、不正の隠蔽をめぐるサスペンスの要素も入っているのですが、それでもどこかズッコケらしくありません。創作術の問題ではなく、作者その人に、どうしたことか退屈を避けようとする善意が感じられないのです。「現代の社会問題一覧」にも読めてしまう『吉里吉里人』を書いた戯作者よりも感じられません。大人の世界によくあるような、ムツカシそうな振りと刺激を交換してしまう貧しさは、もともと反ズッコケ的であるはずなのに。
それに、社会に生きる個人としてはともかく、ズッコケ読者としての僕には、行政の腐敗にも市民の権利にもまったく関心がありませんし、そもそも僕は「社会問題にまつわる話」が好きではないのです。社会問題そのものというより、何かの問題「化」、つまり「これは深刻な問題なのだから話が退屈だろうがかまわないのだ」という態度の生成が苦手です。
その昔、さるニュースキャスターの持ち芸に、時事報道と商業宣伝の間の数秒に大きく溜息をついて見せてから「コマーシャル」と一言かますという芸がありましたが(今も二代目氏が継承しているのか知りません)、ああいうのを許容する環境をあっさり成立させるから嫌いです。ハチベエをオンブズマンにさせたのも、そのハチベエに問題の構図をなぞるように行動させているのも、それをズッコケとして「あり」にさせたのも、同じ力作用だと思います。
お話は、不正の全容がほぼ解明されたところで終ります。隠蔽目的の殺人や恐喝の実行犯は逮捕。贈収賄関係についても証拠をもとに検察が動きはじめて…というところまでです。市長、役場職員、土建会社、産廃業者、暴力団、醜聞恐喝専門のゴロツキと、「ありがちな悪い奴」オールスター出演。再開発計画も頓挫し、まあ、めでたしと相成りました。
しかしまあ、どういうのでしょう。「政治家」といえば「土建屋」「癒着」で、「役所職員」といえば「放漫経理」「カラ出張」という連想、それが現実にどれほど合致しているかは知りません。ただ、そういう観念はズッコケワールドに馴染まないと思うのです。15巻と同じ人の作としては残念です。
読者だった小学生はいずれ大人になります。
将来この日本に、ニュースキャスターの芝居がかった溜息を見た瞬間にズッコケを思い浮かべてしまう人が出てくるかもしれないのです。いいのかそれで。いやよくない。人情噺を聞くと反射的に「政治家にも聞かせてやりたい」などと言う大人が増えていいのか。いやよくない。
まさか本当にズッコケは変わってしまったのかと嘆いた人も多かったはずです。
以後の巻のタイトルを見てみました。「地底王国」「魔の異郷」「幽霊の正体」「愛のプレゼント」「涙の卒業式」……迷走は今回だけのようです。安心していいでしょう。さすがに最終巻の卒業式がイデオロギー対立で破壊される涙ではないはず。たぶん。
というわけで、僕にはあまり魅力を見出せない巻でした。
小学生諸君にもあまり薦められない巻なのですが、宿題やら課題感想文のためにどうしても読まなくてはならないなら、ぜひチャレンジしてもらいたいことがあります。あるいは保護者から見て、その子が将来性に関わる大事な読解力を備えているか判断できるポイントとも言えるものです。
それは、ここで描かれている行政の腐敗や裏社会を、現実の問題を映したものだとはまったく気づかず、ただの舞台設定であり単なる虚構の味付けだと受けとって読んだかどうか。わざわざ退屈を招き寄せるような読み方をしなかったかどうかということです。社会問題などどこ吹く風よと、怪盗Xと同じ水準で悪徳市長を楽しむ姿勢。つまり、退屈への鈍感ではなく、深刻さへの鈍感が期待されるべきだということです。退屈を察知し避ける能力とも言えます。読後に市役所観や行政理解がまったく変化しなかった子がいるとすれば、かなり有用な愚鈍さを備えているということ。未来を背負う少年として頼もしいかぎりです。
……「いや、ちょっと待て」という声が聞こえてきました。成人して社会に出て生活を立てていくには、むしろ退屈への鈍感さが要求されるのではないか、と聞こえてきます。勤め人などは特にそうだ。与えられたものを深刻に受けとり退屈など感じないことが必須のはずだ、退屈を忌避して夢想に遊んでる奴が何の役に立つのか、と。
……ごもっとも。おっしゃる通り。
しかし。
だがしかし。
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